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◆◆◆◆◆◆天ぷら(天婦羅)◆◆◆◆◆◆


16世紀には、南蛮料理を祖とする「長崎天ぷら」が誕生している。これは衣に砂糖、塩、酒を加えラードで揚げるもので、味の強い衣であるため何もつけずに食するものであった。

これが17世紀に関西に渡り、野菜を中心としたタネをラードに代わりごま油などの植物油で揚げる「つけ揚げ」に発展する。そして、江戸幕府開府とともに天ぷらは江戸に進出、日本橋の魚河岸で商われる魚介類をごま油で揚げる「ゴマ揚げ」として庶民のあいだに浸透していったといわれている[14]。当時の天ぷらはゴマ油で揚げることで魚の生臭さを消し、同時に魚介類の保存期間・賞味期間を少しでも延ばそうという狙いもあった。

屋台ではなく天ぷら店として店舗を構えるようになったのは幕末近くであった。明治に入り、料亭や天ぷら専門店が広がるとともに大阪にも天ぷらが伝わることになる。大正時代の関東大震災において職を失った職人が各地に移り、各地へ江戸前の天ぷらを広めることとなった。また、関西の職人が上京したことから野菜揚げに塩をつけて食べる習慣も東京に広がった。その後、屋台の天ぷら屋は姿を消して、天ぷら専門の店舗が目立つようになった。

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食材は下粉を打って(小麦粉をまぶして)から「衣液」にひたし、深い鍋(天ぷら鍋)を使用し多量の熱い油(160-180℃度程度)で揚げることによって調理を行う。「華を咲かせる」とは揚げ終わったときに衣が広がって食感をよくさせることであり、この技法が使用されることがある。揚がった天ぷらは、天ぷら鍋に取り付けた「天ぷら網」あるいは「天台(天ぷらバット)」などに移して油を切る。

一般的に、衣液は鶏卵、冷水、小麦粉(薄力粉)で作る。小麦粉は軽く数回サックリと混ぜる程度にして、グルテン生成を抑える。グルテンは天ぷらの揚げ上がりの食感を悪くするからである。

一般的には水2ないし3に対し卵1の割合で「卵水」をつくり、同量の粉を合わせるが、水10に対し卵1の割合の卵水に同量の粉を合わせた衣を使うと、サクサクとした食感となる。

「たね七分に腕三分」と言われ、タネの素材とタネへの「仕事」が天ぷらの決め手とされている。魚介類や各種野菜・根菜のほか、キノコ類、タケノコ、海苔などの海藻など多くの食材が天ぷらのタネとされる。 ウド、タラの芽、ナスなどのアクのある野菜でも薄衣にしたり片面衣にするなどして100℃以上の高温にさらすことでえぐみや苦みが出にくくなる。

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江戸前天ぷらでは、新鮮な車えび、穴子、はぜ、きす、白魚、青柳、ぎんぽなどを主にごま油で揚げる。 油で揚げている最中にタネの温度が上がり急上昇すると、共に水分や空気を遮断する油中にあるため、衣に閉じ込められた空気や水分・水蒸気が衣を破ったり油を跳ねさせることがある。

タネの名に「天」を付し「海老天」「ナス天」などと呼ばれることもある。また、芝海老や小柱などの細かく切り刻んだ、あるいは元から細かい野菜類や魚介類を衣と混ぜ合わせて揚げたものは「かき揚げ」と呼ぶこともある。


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