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◆◆◆◆◆◆コロッケ◆◆◆◆◆◆


コロッケ(Korokke、英: Potato croquettes)は、茹でて潰したジャガイモやクリームソースに挽肉や野菜などを混ぜ合わせ、丸めて衣で包み食用油でフライ状に揚げた、西洋料理のクロケット(仏: croquette、蘭: kroket)を模倣した日本の洋食の一つ。日本国外に逆輸出された日本式コロッケは日本語そのままに'Korokke'と呼ばれている。

茹でたジャガイモを潰したもの(マッシュポテト)をベースとする庶民的なポテトコロッケと、ベシャメルソースを用いる洋食屋のクリームコロッケに大別される。これらの種に挽肉、みじん切りの炒めタマネギ、魚介類などを混ぜ込み、俵型や小判型、勾玉型などに成形した後、小麦粉、とき卵、パン粉の順で衣をつけ、食用油で揚げて作られる。中身のソフトな食感と香ばしい衣との対照感を味わう料理であるため、揚げたてのかりっとした仕上がりが尊ばれる。

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トンカツ、カレーライスと共に大正の三大洋食の一つとされており、大正末期から昭和の初めにかけての洋食大衆化の中で都市部の日本人に広く普及した。今日では家庭で調理されるほか、精肉店などでお惣菜としても販売されており、非常にポピュラーな料理となっている。蕎麦・うどん・カレーライスなどの上に乗せたり、サンドイッチや惣菜パン・卵とじの具として用いられることもあり、広く親しまれている。ウスターソースのほか、トマトケチャップや醤油などをかけて食べるのが一般的である。

洋食の例に漏れず日本独自の進化を遂げたコロッケ(Korokke)は、日本国外でも日本の料理の一つとして紹介されるようになった。特に西洋のパン粉と異なる日本スタイルのパン粉(Japanese style breadcrumbs、もしくはそのまま'PANKO'と呼ばれる)を使う日本式揚げ物の衣は、西洋のフライとは違った食感を持つということで区別される傾向がある。

ジャガイモのコロッケはヨーロッパ各国にみられる古典的な付け合せ料理であり、起源を特定するのは困難である。正確な記録や定説は存在しないが、明治時代の文明開化の中でフランス料理やイギリス料理の一つとして日本にもたらされたものと考えられる。 フランスのクロケット (croquette) は、ホワイトソースのアパレイユ(ミンチにした魚肉やとり肉などとベシャメルソースを混ぜたもの)にパン粉をつけて調理したもので、現在の日本のクリームコロッケと同じである。しかしながらフランス料理の場合、油で揚げるのではなくもっぱらオーブンで調理される。

1895年(明治28年)の女性誌『女鑑』には、このクロケット(「仏蘭西コロツケ」と表現)をジャガイモを使ったコロッケと対比して、それぞれはもはや「別の料理」と書かれている。

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1905年(明治38年)頃より、東京銀座の洋食店、煉瓦亭がメニューに初めてクリームコロッケを載せている。4代目主人によれば、当時はあくまでまかない料理であり、客に出した店はそれまでなかったという。

1917年(大正6年)当時、洋食の豚カツは13銭、ビーフステーキは15銭だったのに比べ、コロッケは25銭と高価な料理であった。またこの年には、「ワイフ貰って嬉しかったが、いつも出てくるおかずはコロッケ♪」という歌詞の「コロッケの唄」がヒットしている。

安価な惣菜としてのコロッケは1917年(大正6年)の東京「長楽軒」のメニューに端を発し、ここのコック阿部清六が関東大震災後の1927年(昭和2年)に立ち上げた精肉店「チョウシ屋」での商品化により、肉屋の惣菜としてのコロッケの地位は揺るぎないものとなった。肉屋において多量に生じる、切断面の黒ずみで見栄えの悪くなった肉や細切れ肉、揚げ油に使えるラードなどの利用が、より安価なコロッケを提供できるようになった理由としてあげられる。

元々が汎用性の高い料理法であったこともあり、こうして日本の食卓に定着したコロッケは各家庭や店ごとに様々な食材やアイデアを受け入れ、日本独自の料理としてのバリエーションが広がっていった。

調理が手軽で安価なことから、昭和後期頃からは日本各地で町おこしのためのご当地グルメとしても販売され、手軽な「おやつ」としても販売されるようになった。


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