福井を訪ねる
尾道を訪ねる
川越を訪ねる
富山を訪ねる
東京を訪ねる
豊橋を訪ねる
鎌倉を訪ねる



>

ページビューを調べる





-->


最初の目次に戻る。

鎌倉の公式ページはこちら。

鎌倉を楽しもう

  本日は1月19日(日)。大阪から鎌倉へ。新横浜廻りで行く限り、東京へ行くよりは到着時間も長く交通費も高くつく。午後から観光するために、新大阪を午前10時頃の電車に乗ると、13時半頃に着く。急いで観光案内所へ。本来は以前と全く違うところを歩きたいが、3時間余しかなく、殆ど忘れている記憶を新たにするために、お上りさん用の昔来た道を再度辿ることにする。
  先ず東駅舎南端のコインロッカーで荷物を預けるのだが小銭が無いのでキョロキョロしていると、隣にいた青年がsuica cardを使っていたので、「icocaでもイケますか?」と聞くと、辺りを見回して、icoca card OKの掲示を見つけてくれた。親切な若者もいるなー。全く最近は便利になったものだ。
   駅前ロータリー端に観光用レトロバスが停止していた。ここから見る駅舎のスタイルはやはり観光都市に似つかわしくか△屋根のかわいい佇まい。付近を巡回している交通整理係員に尋ねると、「このバスに乗りたいのなら、午後3時50分に1本だけ運行するので4番乗り場で待っているように」とのことであった。只今1時50分、あと約2時間でどれだけ回れるか・・?? とにかく頑張って歩こう。

  若宮大路に出ると先ず「二の鳥居」、「ああ、このようなところだったかなー・・?」 両側の歩道と、真ん中の鶴岡八幡宮参道とを、1回ずつ歩いてみた。両側の車道は夫々1車線余でしかなく、かなりの渋滞である。今日は日曜日で、さすが観光客もいっぱい。
  古都鎌倉は奈良・京都と同様に戦火を免れた歴史的なまち、東京から約1時間でもあり、人気があるのだろう。だが、空襲で全焼した都市と比較すると、当然ながら道路幅が狭小で曲がりくねった道が多い。手水舎(ちょうずしゃ)の青竹が新鮮で引き立っている。参詣者の何割の方々がここで御手を清められるのだろうか・・?
  先年の台風で倒れた大銀杏の古株の展示と、元の位置脇に御幣(ごへい)付き縄で4隅を囲い幼苗が植えられていた。数百年後の2代目大銀杏を乞う・・ご期待!! 参道両脇には屋台店がズラリとまでは並んでいなかった。最近はこのような出店で、子供の欲しがるものを親が買わなくなったのか・・??少し寂しい気もする。

  頼朝墓所の所在が、地図上では八幡宮とさほど離れていないが、徒歩ではかなりの距離であった。頼朝公は武家社会ではずっと崇められてきて現在に至るが、その風評に比するその墓所の現状は、かなり小さい規模のものであった。これは果たして当時のままであると理解してよいものか・・??
   しかし、そうであれば実に貴重なのである。
  というのは、この度鎌倉が世界遺産登録の選に洩れたのも、遺跡の保存度合が薄かったからである。日本史上の中世約100年間の武家社会で、この地は政治の中心地でありその後も憧れの場であったろうが、権力者の興亡・多くの戦乱と共に文化財の殆どが姿を消し、遺跡とはならず、史跡を残しているものが多い。

  荏柄天神社では、1月末というのに紅梅が満開を過ぎていた。鎌倉は梅の産地でもあるようだ。鎌倉宮へと向かおうとしたが時間が気になって、駅へ徒歩で走り抜けていくことにしたが、バス道での徒歩は興がなく、途中に来たバスへ飛び乗った。参道での渋滞でやきもきしたが、結局は、さすがバスならではの15時48分に着け、息を弾ませて無事50分発のレトロバスに乗車できた。

  若宮大路を南下してJRの線路下をくぐって暫く行くと、不足に思っていた「一の鳥居」の所在が分かった。やや先で右折し、長谷で再度右折して、終盤右側に酒屋を見つけ、高徳院(鎌倉大仏の御在所)で終点となった。「こんな所だったっけ」と拝観料を払って境内に入る。陽がかなり傾いてきているので歩を早める。 大仏様の背中でドアの開いている裾を通り一周した。大仏様のお顔がややうつむいて暗くなっているので、シャッターを切る場所をあちこち探した。

  「これから宿で一杯飲もう。どこかでWhiskyを買おう。」、そうだバスを降りる少し手前に「liquor shop」があった。その店は唯一の酒屋として結構繁盛していたが、勘定間違いもあり諦めた。コンビニで買ったのはいいが、方角を間違えて歩行し続け、またbackして長谷寺に着いた時には4時半を少々過ぎていて門前払いとなってしまった。もう疲れていたので仕方なく、江ノ電の長谷から由比ヶ浜までの1区間をicoca cardで乗車した。下車時に赤ランプがついていたが、無人駅で訪ねる人もなく、別に気を留めなかった。 乗車した区間があまり意味のない区間でもあったとの思いで、宿で地図を見ながらよく調べてみると、やはり全く無駄な歩行と乗車であったことが分かった。

   その翌日の帰宅中、icoca cardで近鉄電車乗車時にトラブルが発生。夜分遅いし疲れているので下車時に相談したいと兎に角乗ったが、降車時にも止められて、同様に逃がしてもらった。後日ゆっくりしたときに、そのcardを近鉄に持参した。私は江ノ電に1区間乗車賃の借金を負うことになった。次回江ノ電乗車時に、1区間分支払うという約束である。この保証人は私しかいません。
   観光案内所では説明を受けなかったが、鎌倉には鎌倉の史跡碑や文学碑を巡るコース、鎌倉五山、七福神のある寺社探訪コース、鎌倉十井巡りコース、七里ヶ浜磯づたいコース等観光コースがたくさん提供されているようだ。
  鎌倉の不思議なことは、Internetで検索しても分かるが、hotelの数が非常に少ないことである。観光客はかなり多いが、宿泊客が少ないからだという。これは前述した「川越」の条件とも一致している。近隣都市との連携で、宿泊客の増加を目指す工夫も必要なのでは・・??



Copyright(C) 2013- chick All Rights Reserved.