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富山を楽しもう


  富山の地は北陸街道と飛騨街道(国道41号)が交わる越中中央の要衝である。直感的に思い出すのは・・・・、越中富山のマンキンタン、立山・アルペンルート、富山湾のホタルイカ、Nobel Laureate田中耕一さん・・・・
  飛騨街道はかつて富山の岩瀬港から飛騨・信州へ「ブリ」を運んだ「ブリ街道」ともほぼ同じルートである。富山から高山までの僅か90kmのこの国道沿いに、国内に12人しかいないノーベル賞受賞者のうちの4人(新川原町出身の田中耕一さん、大沢野町の利根川進さん、神岡町の小柴昌俊さん、高山市の白川英樹さん、少し伸ばして名古屋まで行けば名古屋大学の野井良治さん)もの所縁のある土地柄という。よってこの道は「ノーベル街道」とも呼称されているようだ。
  この度は大阪駅を午前9時42分発のサンダーバードで富山へ正午に到着。本日午後半日だけが自由時間であり、効率よく観光することが重要です。早速駅構内の観光案内所へ。

  先ずは駅南で、市内中心部を一周している路面電車セントラム(富山地方鉄道)の通りに沿って進み、時間があればバスで呉羽エリアの民族民芸村へ立ち寄った後、駅北から路面電車ポートラム(富山ライトレール)で岩瀬エリア探訪を目指した。
  セントラムに乗るよりも徒歩で市内の風情を噛みしめながら「すずかけ通り」を進む。県庁前公園で柘植の生垣に雪支えの竹組(当地での呼称:「竹ばさみ」或いは「棚囲い」)を施工していた職人さんの手さばきをしばし眺めていた。公園の向うに市庁舎の展望塔が見えた。

  松川を渡ると城址公園だ。芝生を歩いて郷土博物館(富山城天守閣)を見学。この建物は昭和29年に戦災復興事業完了を機に富山産業大博覧会記念として建てられた。元々富山城は16世紀中ごろ神保長職により築かれたとされる。当時の神通川は東に大きく蛇行し、城はその南側にあった。その後幾多の戦乱で城郭は焼失、近年には河川改修がなされ、蛇行の一部が現在の松川として残されている。
  豪農の赤祖父家から城址公園内(本丸東側)に里帰り移築された千歳御殿の門が素晴らしい。門前のブナの高木群に椋鳥が住み着いて糞を落とすので要注意。平成26年の新幹線開通に合わせて完成予定である城址公園の再整備工事が行われているが、その完成景観は本来の歴史的な景観とは全く異なるとしている。

  広いアトリウムと全階吹き抜け空間と全高さ100mの展望塔のあるユニークな市庁舎は市制100周年事業の一環として平成4年に完成したもの。展望台から360度を見渡しましたが、生憎の曇りで立山連峰は望めなかった。
  食べ過ぎ・飲み過ぎ・胸やけ・もたれに効くという「越中反魂丹」本舗池田屋安兵衛商店は城址公園から徒歩10分だが、時間が無いので諦めた。

  ポートラムで約30分、東岩瀬で下車徒歩15分の大町新川町通り(旧北國街道)。この通りに面して(裏は河岸)、江戸期から明治期にかけて日本海から瀬戸内海航路で活躍した豪商北前船廻船問屋が並ぶ。 通称千石船(500~2000石)で北海道と大阪を結び,北海道や東北からは昆布やニシンなどを買い入れて西国で売り、米・塩・酒・反物・古着などを仕入れて北国で売り,往復で倍倍"に儲かることから、「のこぎり商売」「倍船」ともいわれ財をなした。

  北前船廻船問屋森家は、各地の富(屋久杉の板戸、能登産黒松のはり、囲炉裏を飾るロシアの琥珀(こはく)、土間には小豆島産の巨大な1枚岩)を集め、京都の東本願寺を普請した棟梁を呼び寄せ3年の歳月をかけて明治11年(1878年)に建築されたもので、当時のたたずまいを残す東岩瀬廻船問屋型町屋の一つである。
  歴史的風情ある街ですが近年は老朽化や建替え、生活様式の変化に伴う改修等により、その岩瀬らしい風情が消え、賑わいもなくなりつつあった。街並整備推進協議会をつくり、先進地区の視察・観光コースつくり・整備方針作成を経て富山市の協力を得て観光客も増加傾向にあり、賑わいを復活しつつある。



  富山はバスもあるが路面電車が他市に類を見ず非常に活躍しているように思った。人口が大都市ほど多くないのに市電を縦横に走らせて、現実に収支が合うのだろうか? 疑問に思い調査してみた。
  すると、富山市は国が募集していた「環境モデル都市のアクションプラン」に応募した。その結果、全国の82市町村からの提案の中から、以下の5つの選定基準(1.大幅なCO2削減目標、2.先導性・モデル性、3.地域適応性、4.実現可能性、5.持続性)を満たすとして、以下の6自治体(横浜市、北九州市、帯広市、富山市、下川町(北海道)、水俣市)が平成20年7月に「環境モデル都市」に選定されたとのこと。
  選定された理由は、富山市がこれまで取り組んできた「公共交通を軸としたコンパクトなまちづくりを核に据えたCO2の削減計画」が、他地域の提案にはみられない先駆的な取組みとして高く評価されたからという。この地におけるこれまでの先達の遺産と継承が幸いしたこともあるが、今後の観光客誘致策とともにこれが具体的に実現していけば、実績ある「環境モデル都市」として賞賛されるだろう。

  新幹線工事による富山駅の高架化に伴い、その竣工後には駅北のポートラム(富山ライトレール㈱)と駅南のセントラム(富山地方鉄道㈱)が繋がる計画ができているようだ。双方が市営ではなく民営であることの意義は大きく、駅北地区と駅南地区を世紀のチャンスと捉えて直結できることは正に青天の霹靂であり素晴らしいことだし、鉄道による地域分断解消の好事例として価値が高いと思われる。
  富山中心市街地と岩瀬浜方面の直通運転で利便性が劇的に向上し、環境モデル都市の実現に大きく寄与していくことになる。今後益々路面電車の活躍が期待され、次回の訪問が待ち遠しい。

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