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福井を楽しもう

  北陸方面は、かなり昔北海道を旅したときに寝台列車「日本海」で通過して以来2、3度来たことがありますが、余り馴染みが無かったところでもありました。 至近では湖西線のまだ無い頃に、近江今津の辺りで鴨料理を頂いたことがあります。鴨のような高級食材は当時口に入れたことがない時代であったので、「ああ、こんな味なのだ」と、噛みしめて味わったのを思い出します。

  福井市を久しぶりに訪ねる機会がありました。大阪駅から特急「サンダーバード」で僅か1時間、ずいぶん早く着いたのには驚きです。先ず福井駅構内の観光案内所で、当日午後の訪問場所を決めて、いざ出発。最初は駅東口からバス約30分で永平寺着、約2時間の予定。

  永平寺は1,244年(寛元2年)道元禅師により開かれた座禅修行の道場で、現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成、檀信徒(「檀」は「檀那」の略で「布施をする施主)の信仰の源となっています。
  境内は3方を山に囲まれた山間の地に、大小70余の建物が建立されています。法話・朝のお参り・諸堂拝観・参禅ができ、一般の座禅修行は3泊4日で参加できるようです。

  七堂伽藍とはよく言いますが、伽藍(修行する清浄な場所)は寺院建物の呼称、中でも山門・仏殿・僧堂(仏道修行に励む場)・庫院(禅寺の厨房:庫裏)・東司(とうす:禅寺の便所)・浴室・法堂(はっとう:仏教を講義する建物:講堂)を指し、特に僧堂・東司・浴室は三黙道場(私語禁止道場)と言われています。

再びバスで駅に戻り、これから徒歩で約3時間かけて、福井城址を南東側から左回りに1周することにします。

  養(よう)浩館(こうかん)へは駅から北へ徒歩約20分。この庭園(約9,500㎡)は元福井藩主松平家の別邸(お泉水(せんすい)屋敷)で、数寄屋風建築・回遊式林泉(りんせん)庭園を備えた江戸中期を代表する名園です。
  由来・その後の経緯の不詳・福井空襲で焼失等の紆余曲折を経て、足羽山から隣地に移転した郷土歴史博物館・お泉水公園とともに平成16年に整備されました。お茶席もあります。米国の日本庭園専門誌(Journal of Japanese Gardening)で、2008年度に第3位に選定されたそうです。

  郷土歴史博物館では折しも越前松平家伝来品を中心とした甲冑(かっちゅう)とその周辺資料の展示会が催されていました。
  平安時代以降に独特の技法で発展した日本の甲冑技術:鍛鉄(錬鉄と同義)・皮なめし・漆や染色・縅(おどし)や組紐(くみひも)・裁縫等の技術は、戦国時代以降の合戦が無くなった江戸時代に至っても発展を続けたようです。

  御廊下(おろうか)橋(はし)は福井城址の西に位置する中央公園からお濠を渡って本丸へ渡る屋根付き廊下の橋です。徳川家康の次男で豊臣秀吉の養子となり、養父秀吉と実父家康の一字ずつを拝名した福井初代藩主結城秀康公が築城した折に架橋されていたという確証はないようです。
  歴代藩主のうち5人は現在の中央公園の場所に存在した西三の丸御座所に居住されていたとされ、政務のために本丸との通勤に使用された藩主専用の橋でありました。
  1,669年(寛文9年)の大火で天守を初め城下の大半が焼失。江戸中期に再建されましたが、昭和20年の福井空襲で焼失。明治初期に撮影された写真を基に、平成20年に復元されたものです。

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